非日常を日常にする漫画の面白さ「ベントラーベントラー」

ベントラーベントラーが終わってしまいました・・・。ベントラーなんて言うと、どこからかUFOでも出てきそうな言葉ですが、普通に漫画のお話です。

ベントラーベントラー(3) (アフタヌーンKC)

ベントラーベントラー(3) (アフタヌーンKC)

この作品は四季賞出身の野村亮馬先生(2007冬、WORKING ROBOTAで四季賞受賞)が描く「のほほんSF」です。今の世の中では信じられませんが、宇宙人が当たり前の様にいる世の中で外星生物警備課(外星課)に勤めるすみちゃんが、宇宙人のクタムと一緒に色んな事件を解決していく漫画になっています。



宇宙人が当たり前の世の中(歩道橋上のクタム)

漫画のタイトルにもなっている「ベントラーベントラー」という言葉は、すみちゃん達が使用する隠語で「地球外より侵入した生物及び漂着物に対する処遇を在地球外生物に仰げ」という意味です。つまり、何か困ったことがあれば宇宙人に聞けばいいでしょってことです。
そんなわけで。少数精鋭(?)な外星課では常にクタムに助けられています。ものすごく協力的ではあるんですけど、すみちゃんからは結構ぞんざいに扱われてたりします。クタムはすみちゃんだからこそ手助けしている節があり、「地球人と同じように扱ってくれる」ところを気に入っているそうです。




一家の家に住み着く宇宙人

日常に宇宙人がいる・・なんて想像できませんが、いたらいたで楽しそうですよね。よくある怖い宇宙人との戦いでもなく、歌に食いつく宇宙人でもなく、よく休むジャンプ作家の描くような口から嘘ばかり出てくる宇宙人でもありません。
例えば、地球人の生態が知りたいと、ある一家の家族に成りすまして生活してました・・・・しかも家族の同意を得て。むしろ代わってくれと頼まれていた部分が強いです。
クタムもそうなんですが、絵だけを見ていると愛嬌があって可愛いんですよね。不気味すぎず愛くるしすぎず。四季賞をとった作品の時から、野村先生はそんな作風です。ちなみに四季賞ではロボットでしたが、無機質すぎないロボットを描いていました。




未来に連れてこられたすみちゃん

最終話では、すみちゃんがある宇宙人の兵器に巻き込まれ、700年後まで地球に戻ってこれない状況に陥りました。つまり700年経ったら、今の姿のまま地球に戻ってくることになります。しかし、700年も経てば知っている人が生き残っているわけもなく、ある意味すみちゃんは取り残されてしまいます。
700年後には会える―それはつまり今を生きる人たちからすれば、すみちゃんは死んでしまったのと同義です。すみちゃん自身はおろか、周りの人たちも実感できないわけです。

ただ、700年後に行ってしまったすみちゃんがもし元の時代に戻れれば大団円だと思います。しかし、この作品ではそういうことをせず、700年後の世界を生きていくすみちゃんが描かれています。つまり非日常になってしまった生活を日常にしてしまったわけです。宇宙人がいること自体が非日常なんですけど、それを日常のように見せる野村先生の力量が生み出した終わり方をしているのです。
どんな事件の時も本当なら慌てるところを、クタムが「これくらいは普通ですよ」と引き戻してくれるんですよね。この異常を普通に捉えさせてくれる野村先生はすごいです。


のほほんSFと言っていますが、SFには違いありません。むしろ読みやすいSFと言えるのではないでしょうか。
アフタヌーンという雑誌でSFがないのは寂しいです。そういう意味では、四季賞をとってからグフタではなくアフタに載せたのは最善策でした。ベントラーベントラーが載っていたこの2年はアフタヌーンもSF充でしたよ。終わってしまいましたが、既に野村先生の次回作に期待しています。ロボット、宇宙人とやったので次は未来人か超能力者でどうでしょうかね?・・・冗談です。