どうしようもなく愛おしい物語「四月は君の嘘・ラスト前」※原作派以外はNG



パンフレット

前(http://d.hatena.ne.jp/toldo13/20140926/p1)にも書きましたが、四月は君の嘘のクラシックコンサートがとても素晴らしいです。機会があれば行くことをオススメします。特に原作が好きな人、音楽とか興味ないけど原作を読んでる人、絶対に行ったほうがいいです。原作を読む時に与える影響が全く違います。
というわけで、1/27のコンサートにも行ってきました。当初は予定が立っておらず、前日になってチケットを購入したという体たらく。もっと早く行けることが分かってれば、もう少し良い場所を取れたかもしれなかったかもなぁ。でも、やっぱり、生で聞くってすんごく良いよ!!木枯らしが聞けたこと、サンサーンスのロンドカプリチオーソを聞けたこと、一生の思い出です。



さて、あと1話で四月は君の嘘も最終話を迎えます。
なんでしょうね。月マガという雑誌は、数年に一度は読者の心に爪あとを残す呪いにでもかかっているのでしょうかね。終わるとか信じられません。・・・・終わった時、ポッカリと心に穴が開くような感覚に陥るのでしょうか。楽しみなようで楽しみじゃない不思議な思いで、この残りの数日を待たなければなりません。
最終回前の全体的なお話については、以前(http://d.hatena.ne.jp/toldo13/20141130/p1)にも書いたとおり。今回はラスト前の話でも少し・・・・。



三池くんも楽しみ

最終回の前の前のお話。今後の公生の人生を決めるであろう“東日本ピアノコンクール”で公生の演奏順が回ってきます。相手は、自信を取り戻した武士、変わらぬ優雅さを見せつけた絵見、ではなくて自分自身。かをりの手術という状況にどうしてよいか分からずテンションがた落ちの公生はしっかりと演奏できるのでしょうか・・・・。


三池くんごめん、無理かもしれんわ

まぁ、三池くんはそれほど重要ではないですが、今まで公生を支えてくれた人たちの前で固まる公生。ピアノに指がいきません。練習もロクにできてない。心の部分で頑張れない状況。



でも、それでも弾かなければならない。





一人じゃない、三池くんもいるし

四月は君の嘘という作品の中で、何度公生はピンチを迎えたでしょう。母の死によるトラウマ、傍若無人なヴァイオリニストの無理矢理伴奏、止まるピアノ、伴奏のみのピアノ、そして好きな人の死。いや、正確には死んでいませんが、かをりちゃんとチェルシー(黒猫)によって公生に与えた死というインパクトは非常に大きかったです。
ただ、それでも公生は自分の悲しさと共にピアノを弾いてきました。かをりちゃんも言っていましたが、彼らはそういう人種なのです。
公生がピアノを弾けなくなった日から、彼は顔を下に向けたままでした。そんな彼の顔を上げさせたのは、かをりちゃんと出会ったすべての人たち。心配そうにずっと見ていた少女もいます。顔を上げなければ夜空の星を見れないことを教えてくれた少年もいます。公生に音を与えてくれた母がいます。なんと母は二人もいます。
この作品に無駄なキャラは一人もいません。それこそが四月は君の嘘という作品の面白さの一端であり、公生を支えてくれている物語であるという証拠でもあります。


僕の全部をのっけて届け



“届くかな”ではない「届け」
“届くといいな“ではない「届け」
届けという言葉は、この作品を象徴する言葉になってますよね。届け、という懇願のような、自分の気持ちを伝える覚悟の大きさのような、届くだろうというほんのちょっとした確信もあるような。



さて、ありったけの自分で―と教えてくれたのは、かをりちゃんです。かをりちゃんがいたからこそ音楽を取り戻しました。またそれと同時に、公生にありったけを表現させることを教えました。それが巡り巡って、東日本コンクールで手の止まった公生を後押しする力となります。
・・・・という最終話の前の前のお話。







かをりちゃんという幻想

ヒューマンメトロノームと呼ばれた子供時代、彼を評価するのは採点者だけでした。作曲者が紙の上で表現したものを無機質なままピアノの音として奏でる。その中には聴衆へ伝えるものはなく、ただただ優勝するための音楽があっただけ。
ただ、かをりちゃんとの共演で聴衆の心を動かす演奏を知りました。公生は・・・・その時の演奏が忘れられず今に至っています。公生が今弾いているピアノの音、それは、その時を再現するかのように聴衆の心を掴んでいきます。支えてくれた人への感謝、相座武士が語っているように「恥ずかしいほどにさらけだしている」音楽でもあります。きっとこれは聴衆にとっても、公生にとっても会心の音。・・・・そこにかをりちゃんがいるのは当然ですよ。


消えていくかをりちゃん

で、ラスト前回のここからがもうどうしてよいのやら・・・・って感じでした。なんと音楽が終盤に行くに従い、かをりちゃんが消えていきます。最終的には―



ポカーンですよ。何で?何で消えるの?って。どうして幻想の中のはずのかをりちゃんは泣いているの?って。
何が一番怖いって、まるでかをりちゃんの死を暗示しているように見えて怖い。幻想のかをりちゃんに消えないでと公生が願っても願っても、彼女は消えるわけです。これってどういうことでしょう??




憧れではない、これは好きなんだ

公生はかをりちゃんを見た時、世界がカラフルになったのです。伴奏を頼まれたあの日、彼は好きを憧れだと勘違いしました。ただ、演奏が終わった瞬間、あの時の「憧れ=好き」を思い出します。好きな女の子を思い出します。でも、その女の子は演奏の中で消えていきました。
最後に一言、さよなら―という公生の言葉を残して・・・・。


最終話に向けて

最終話には何が待っているのでしょう。最終話前で見たかをりちゃんからの手紙の中身は・・・・?






というわけで、最終話を迎えます。
どうしても気になるのは、かをりちゃんの手術結果でしょうね。ヒロインが死ぬわけない・・・・と信じています。例えば公生がもらった手紙は、海外から送られてきた手紙〜とか(住所とか書いてないので、ただの手紙でしょうけど)。公生が消え行く幻想のかをりちゃんに言ったさようならという言葉、これはただ単に公生のピアノの自立を意味しているとか。ポジティブ要素はたくさんあります。逆に、ネガティブ要素もチラチラしている気もしますが。
もう一点挙げるとすれば、公生の演奏の結果ですかね。結局のところ、公生の演奏がコンクールで勝てるものだったのかは疑問なのです。聴衆を魅了したのは間違いないですが、それで勝てないのは絵見が教えてくれます。もちろん勝っててほしいですが。まぁ、武士や絵見が公生の背中に追い付かなきゃな〜的なことは言っていたので、武士たちとしては負けたと思っていそうですが。
最後に、かをりちゃんが公生をどう思っているのか。どうしてここまで公生に肩入れしていたのか。この謎が最終話で明かされると嬉しいですねぇ。どうなることやら。個人的に希望していた二人の共演はちょっと難しそうですが、そのあたりは描いてもらえたらなぁと思ってます。あと、最終話以降の物語というのもちょっとあると嬉しいです。サブストーリーで1冊作ってみるというのも面白いのではないでしょうか。是非、ご検討お願いします。


さぁ、最終話はもうすぐだ。