誰も漫画に「終わりなき旅」なんて求めてねーんだよ・・・という話

私は短編漫画も長編漫画も好きです。
短編漫画が持つ読後のスッキリした感じが好きです。
長編漫画が持つ読み応え感が好きです。


特に長編漫画においては、「終わり」の素晴らしい漫画に出合えることを常々祈っています。
どんな事象においてもそうですが、この「終わり」が良ければ全て良いものとして捉えられます。


そして、「終わり」を迎えるには「過程」が必要となります。


長編漫画ではその「過程」を大切にします。
私の好きな作品に"うしおととら"がありますが、これはうしおが長い長い旅を続け、
その場所場所で出会った人・妖怪のおかげで最凶の敵である白面の者を倒すことが叶いました。
決して1人では倒すことはできませんでした。
しかし、うしおたちの旅という「過程」があったからこその「終わり」でした。


また、"スラムダンク"という名作においても成長という「過程」により、山王を倒すという偉業を成し遂げました。



長編漫画では「終わり」と「過程」のつながりが名作として輝く鍵になると思います。
では、短編漫画はどうでしょうか。
短編漫画はむしろその「過程」を省き、「終わり」に着目した作品群になります。
端的に言えば夜空に輝く花火を見ているようなものです。
裏では大変なのかもしれませんが、ドンッ!!と咲き誇る姿を見ることのみを楽しんでいるわけです。



長編漫画と短編漫画は一長一短です。どちらの方が好きかは個人個人で違うかもしれませんね。


短編漫画=「終わり」
長編漫画=「過程」+「終わり」

上記の通りであると考えると、一つのことが浮かび上がります。
それは、終わりを蔑ろにした時点で駄作となり得ることです。
短編であれば言わずもがな。「終わり」のみの作品なのに「終わり」がダメなら意味がありません。
湿気た花火みたいなものです。
一方、長編では「過程」がいかに素晴らしくても「終わり」次第ではダメになるということです。
そういう意味では

長編漫画=「過程」×「終わり」

かもしれません。


つまり「終わり」が重要。超重要。これがダメならクソみたいな漫画になります。
では、「終わり」の悪い漫画とはどんなものか。私としては以下の3つに分類できるのではないかと思います。
・ただの力量不足、風呂敷の広げすぎ
・打ち切りによる尻すぼみ
・終わり時を間違えた、無駄に長すぎる


終わり良ければ全てよしとはよく言ったもので。
上記3つを免れる漫画に溢れかえる世の中を期待してやみませんよ、ホント。
最近で言うと、特に3つ目の終わり時を間違えた漫画にはガッカリしています。
その漫画にとっての「本当の終わり」ならウェルカム。「終わりなき旅」ならノーサンキューですよ、もう。
本当にジ・エンド(コミックマスターJ)が必要なこともありえるのかなぁ・・・。