「四月は君の嘘」漫画の最終回までに思う色々なこと

最終話のネタバレはこちら→http://d.hatena.ne.jp/toldo13/20150206/p1




エロイムエッサイム、エロイムエッサイム、我は求め訴えたり。
四月は君の嘘」が大好きすぎて困る。
いいですよねぇ、四月は君の嘘。原作の第1話目からずーっと好きで、アニメが始まって、気分がフワフワしながら見ています。中の人(演奏側)のコンサートも行きました。進撃の時ですら手を出さなかったグッズ類とかまで興味を持ちはじめています。ただ、10巻についていたパスケースは使いづらいw


カード1枚の大きさ、可愛すぎて31歳のオッサンには使いづらい



さて、そんな四月は君の嘘ですが、原作があと2回で終了となります。さらに今月発売の月マガを読めばわかりますが、来月はお休みだそうです。つまり、12月発売号(1月号)はとばして、2月発売号(3月号)で最終回を迎えるわけです。最終回はどうなるのか。どんな展開になるのか。非常に気になります。ちなみに10巻ラストは40話、最終話は44話となります(今のところね)。
基本的なお話になりますが、単行本1冊につき演奏シーンは1つくらいの見せ場しか持ってきていません。現状、最終巻は公生のみの演奏となりそうですね。それ自体は問題ないのですが、できれば公生とかをりちゃん二人の演奏がちょっと見たい。そんな最近の気持ち。



○君という嘘
公生はかをりちゃんがいない時、「宮園さん」と呼んでいます。かをりちゃんは公生がいない時、「有馬くん」と呼んでいます。しかし、お互いがいる時、「君」と呼んでいます。実によそよそしい。しかし、深いところで繋がっている感じがするわけで・・・・。
そもそもタイトルに「君の嘘」と入っているくらいですから、どちらかに対しての嘘があるわけですよ。“四月は宮園さんの嘘”なのか、“四月は有馬くんの嘘”なのか。まぁ、実際はお互いが軽く嘘をついている状態なので、お互いの嘘なのでしょう。もちろん大層な嘘ではありません。ちょっとした・・・・気持ちの嘘。

君:かをりちゃん
公生:椿、渡
有馬:武士、絵見

上記は、有馬公生という主人公を他の主要キャラがどう読んでいるか?というものになります。公生もかをりちゃんを「君」と読んでいるわけですが、逆にそれが特別な感じがして素敵だな〜と思います。もっとも美しい嘘が生まれてますね。

もちろん「嘘」という言葉の中には、かをりちゃんが説明したように音楽家としての嘘も含まれます。観客の前で演奏するため、公生は作中ずーーーーーーっと練習しています。テクニックの練習は母親が教えてくれました。しかし、彼が、彼の音楽が、音になって観客へ伝わるために頭を悩ませてする練習は、本番では見ることが出来ない部分。ピアノなんてやってられるか!そんな気持ちに嘘をつきながら、四月は君の嘘という作品の中で、かをりちゃんと得た感覚を追い求めていきます。




○有馬公生の場合



旅に出る

この作品でよく出てくるのは、もとい、公生が成長したり、公生が自分のピアノを手に入れていく時、“空を見上げること”と“旅に出る”という言葉がよく出てきているように思います。空を見るのは、下を向くことへの否定。星空は友人との思い出、かをりちゃんへの気持ちを呼び起こさせます。そういう意味では“きらきら星”もまた重要なキーワードだなと思います。
一方、旅に出る・・・・という言葉は、公生の音楽家としての旅路を示していますよね。公生も、武士や絵見たちを前に(音楽家としての)旅の途上にいると宣言しています。どの航路が正解なのかわからない旅ですが、なにわともあれ公生の旅を始めさせたのは、かをりちゃんということになります。


最終話の演奏を前に、改めて公生の演奏を列記しておきます。

1.藤和音楽コンクール:かをりちゃんの伴奏
2.毎報音楽コンクール:音が消えてから初の単独演奏
3.藤和ガラコン:かをりちゃん不在の伴奏者
4.くる学祭:武士の妹・凪との連弾
5.東日本ピアノコンクール:公生の将来を決める演奏を

藤和音楽コンクールで公生がかをりちゃんとの演奏で得たものは、自らの音を出すこと、そして聴衆からの圧倒的な歓声でした。公生の子供の頃は、ヒューマンメトロノームという言葉に代表されるように、コンクール荒らしとしての結果だけでした。心を打つ音楽ではなく、勝つためのミスしない音楽。そんな時代を過ごした公生が得た歓声。その時の感動を追いかけるように、公生の旅が始まるわけです。
そう考えてみると、公生は結局のところ、単独で大歓声を受けたことがありません。公生の演奏での大歓声は、1.のかをりちゃんとのコンビ、4.の凪とのコンビでしか達成していません。公生は最後の最後、東日本コンクールで、かをりちゃんと見た景色を味わうことができるのでしょうか。もう少し言うと、かをりちゃんとの演奏って、最初の一回しかないんですよ。最終話直前ですが、既に思い出状態ですからね。先述していますが、もう一度、もう一度だけでもかをりちゃんとのコンビが見たいものです。




君が好きです

藤和コン、毎報コンで公生は演奏を中断しています。毎報コンの方は一人で、いや、その場にいないはずのかをりちゃんにも支えられて演奏しています。その後、藤和ガラコンでは、中断はなかったものの音が変わるという事態は起きています。その後のくる学祭では、序盤の少し以外は“公生の演奏(=音を自ら生み出す)”ができています。つまりはまぁ、成長しているってことです。
さて、毎報コンでは、誰かのために弾くということを学んでます。公生の演奏は、正確無比なヒューマンメトロノーム、ピアノが好きな頃、誰かのための演奏という3つの顔があります。あ、音の聞こえない状態は抜きですよ。一つ目のヒューマンメトロノームに武士は恋し、ピアノが好きだった公生の演奏に絵見は憧れました。今の公生はそれらとは違う、演奏家としての、気持ちを伝える演奏を行っています。で、毎報コンでは“好き”って気持ちをぶつけてるんですけど、本人は軽く否定していて面白いです。
どっち(かをちゃん、椿)が好きかなんてわかりきっているのに・・・・。


演奏家としての成長

成長期最後の演奏となる藤和ガラコン。本当はかをりちゃんと一緒に演奏する予定でしたが、メインのヴァイオリニストが不在のため、母親がいつも弾いてくれていたピアノ版の「愛の悲しみ」を演奏することになってます。ちょっと余談ですが、この「愛の悲しみ」には「愛の喜び」という対になる曲があるんですけど、小説版ではかをりちゃんが「愛の喜び」を弾いています。というか、喜びの方が好きだって言ってますし、本当はそっちを高生と弾きたかったらしいことを言っています。ただ、過去を振り返るべき時期に来ていた公生にとっては悲しみの方が大切だという判断が、かをりちゃんによってなされています(楽譜の使い込まれ状況を見た上での判断)。確かにまぁ、かをりちゃん的には「愛の喜び」を選びたくなるかなぁとは思いました。“君”という存在に出会って、今が一番楽しいでしょうし・・・・。
話は戻して、藤和ガラコンです。兎にも角にも演奏シーンでの静寂感がとても好きでした。盛り上がるような結果ではなく、公生が母親にさよならを送る演奏に観客は胸を打たれます。公生の演奏からは寂しさがかもし出され、退出する際のコツコツという音が哀愁を漂わせていました。この話がものすごく好きなんですよ。公生の音が聞こえなくなる呪いは自らによるものであり、本当の公生と母親の音はずっとそばにあった。公生は昔から変わらず母親を大切にできる人間であり、それを音楽で伝えられる演奏者になった。そういうお話でした。いい、非常にいいですな!!!





○宮園かをりの場合
本作のヒロインであり、公生を引っ張りだした張本人です。公生を知らないような素振りをしたり、実は誰よりも演奏家としての有馬公生を知っている少女。公生は「かをりは渡が好き」だと勘違いしていますが、どう考えても公生のことが好きやろ〜って存在でもありますな。何気に一度もかをりちゃんの口から「渡くんが好き」という言葉が出てきたことはありません。せいぜいカッコいいと言う程度ですね。多少イチャイチャしてますが、渡もかをりちゃんの心に気づいているっぽいです。
彼女は、作者の新川先生が公生と読者に伝いたいメッセージを届ける代弁者ではないかと思っています。新川先生はガイドブックでも語っていましたが、とにかくチャーリー・ブラウン(というかスヌーピー)と、いちご同盟が好きです。そんな二つの物語の言葉を伝えるのがかをりちゃん。本当に重要なキャラだと思います。
ただし、残念なことに彼女の演奏は二度しかありません。一つは1巻での藤和コンクール予選。この時は別の人に伴奏を頼んでいましたが、かをりちゃん最後の演奏となっている藤和コンクールの第二次?予選にて公生が伴奏をすることになります。



くじけそうになる私を支えてください

公生に伴奏を頼んだ場面。いまだにこの時の涙がどういった気持ちだったのかを理解できていない自分がいます。
女の子が頭を下げて助けてほしいという懇願の場面、この場面でギュッと胸をわし掴みされました。この場面から、「この作品をずっと推そう」と思ったんです。でも読んでいくと・・・・この場面の本当のかをりちゃんの気持ちって??と思ったりするわけです。なぜ公生だったのか。どうして公生でなければいけなかったのか。もちろんこの時のかをりちゃんは、公生に伴奏を頼みたかった、もうヴァイオリンを弾けなくなる時が来ることを知っていて頼んだと思います。ただ、物語はいつしか公生更生(←ややこしい)プログラムへと移っていました。くじけそうに〜という場面、どこまで公生をピアノへと戻したかったのかが気になります。もちろん、かをりちゃんが公生にここまで固執した理由も気になります。そのあたりは最終回にでも・・・・と思いますが。


かをりちゃんは公生が好き、とまでは言い切りませんが、それなりの感情は持っていると思います。もちろん言い切ってもいいレベルですけどね。ぶっちゃけ最初から好きだったと言っても過言ではないのかも?というのは、上述のくじけそうと絡んでくる話ですが。いちご同盟を絡めてきたあたりでは、既に公生にかなり依存していたようにも思います。この見え隠れする嘘が、もどかしくもワクワクする恋愛物語を描いてくれると思います。
そうなってくると、恋のライバルとなる椿なんですけど、何気にバチバチです。例えば面白いな〜と思ったのが、1巻のバスの中で、かをりちゃんが「椿ちゃんは有馬くんが好きなんだね」と言うと「ダメダメな弟」という回答を椿がします。その後、毎報コンでピアノに頭を悩ませる公生に肩入れをするかをりちゃんに対し、「どうしてそんな肩入れするの?」という椿の質問に対し、「ダメダメな弟だから」という回答をかをちゃんがするんですよ。おいおい、それって好きって言ってしまってるのと一緒じゃないですか。その後、抜け駆けして公生に会いに行ってますし、椿は先輩と付き合うという判断ミスをしてしまいます。恋って難しいですね。
渡も言っていますが、かをりちゃんが頼み事をする時は、決まって公生なんです。公生だからこそ弱みを見せる。それが宮園かをりなんですよ。





○公生とかをりの本音
藤和音楽コンクールで、公生の音楽家としての道を歩ませたかをりちゃん。しかしその後、かをりちゃんの体調が思わしくないことが発覚します。薬の量が尋常じゃないって描写にはドキッとしましたね〜。基本的に藤和コン以降、病室での描写が多くなっていくかをりちゃんですが、どこか塞ぎこんでいく面も見受けられました。後々気付かされますが、藤和コンでの「死んでも忘れない」という言葉の重さが尋常じゃなかったなと思ったり。
毎報音楽コンクールでは、告白のような演奏をした公生。いや、告白そのものな演奏をしていましたね。作品のテーマの一つに、音に気持ちを乗せるという部分がありますが、公生の中にある音楽を初めて表現した場所となります。その後の藤和ガラコンで母親への気持ちを音楽にしますが、好きな女の子で気持ち音楽童貞を捨てるというあたり、青春さ爆発していて好きです。
余談ですが、毎報後に紘子さんが出てきますね。彼女が公生にとって母親との繋がりを持たせる存在となりますし、新川先生があえて父親を出していない(←インタビューより)状況で、“公生にとっての大人”の役割を担ってくれています。彼女の大人としての、保護者として公生を見つめる視点がとても漫画としての幅を広げてくれたな〜と思っています。かをりちゃんという先導がいて、紘子さんは大人としてその他の友人・ライバルたちと一緒に公生の背中を押してくれていました。非常に重要なキャラです。


本当は二人で出る予定だった藤和ガラコンでは、体調不良で倒れ、頭を打ってしまい不参加となります。ただし、偶然にも公生の母親がよく弾いていたピアノ版の「愛の悲しみ」を弾きます。かをりちゃんのいない状況で一人立ちする公生。公生にとってかけがえのないものを手に入れますが、逆にかをりちゃんという存在が消えてしまいそうになるわけで。
そこから、くる学祭で言葉をこえる音楽を弾くわけですけど、いちご同盟と被せてきたり、母親の死と被せてきたり・・・・・


「こんななら会わなきゃよかったね」


という、かをりちゃんの重い重い言葉が出てくるわけですよ。その状況から、いじけたかをりちゃんを一発ぶん殴ってるという気持ちにまで持っていった公生の成長も見どころでしたねぇ。
面白いのは、いじけていた公生をかをりちゃんが引き上げて、病気でいじけていたかをりちゃんを公生が引き上げる。特に公生にいたっては、音楽に気持ちを載せたというのが良いです。



精一杯の告白

公生とかをりちゃん、二人の原点であるヴァイオリンとピアノでの共演、それをもう一度という公生の言葉。うーん、どう見ても告白だなぁ。当然ながら、俺も二人の演奏を超見たいです。
こんな素敵なシーンを経て、かをりちゃんは手術することを決めるわけです。公生はピアノを再び始める時、紘子さんに「変なヴァイオリニストに出会った」と言いました。かをりちゃんは手術を決心した際、医者に「4月に出会った男の子」について語ります。お互いが「ありったけの自分」をさらけ出し、「ありったけの君」を見て立ち上がる。そんな二人の関係性がとにかく好きなんですよ・・・・。公園で初めて出会ったあの時、モノトーンな景色がカラフルになったのは、二人とも同じだったのだろうな・・・・と思うわけです。
なお、10巻ではついに椿と渡に“かをりちゃんが好き”という気持ちを伝えるわけですが、いやバレバレでしたが、せっかく公生がこれから!!って時にかをりちゃんが大変なことになるんだもんなぁ。最終回がどうなるかはわかりませんが、かをりちゃんが無事であることを祈るばかりです。
憧れから恋へ。終盤に向けて楽しみな関係な二人ですよ、ホント。








○澤部椿の場合
君の最大の敗因は、かをりちゃんに公生を紹介したことだよ。
これもうずーっと思ってました。いや、そうじゃないと物語が動かないのはよくわかってますけどね。でも、椿の立場で考えた時、これが一番、一番、一番のミスだったと思うわけですよ。かをりちゃんに出会わなければ公生は椿とずっと一緒だったと思います。しかし、椿ではモノクロをカラーにできなかったんですよ。椿ではピアノを弾かせることはできなかったんですよ。まぁ、ピアノを弾いている公生を喜んだりしたのも椿ですが。
柏木ちゃんのお節介にのっておけばよかったのに、意固地になってしまった椿は公生を拒否し始めるわけで。ピアノを弾いてくれるだけでよかったのに、いつの間にか自分の手元にいないことに愕然とするわけです。中3らしい恋愛になってますね。いや、わからんけど。

ただ、公生に言い聞かせるように「かをりちゃんは渡が好き」と言っていたのが可愛らしい。そんな描写どこにもないのにね。






なお、小説版では一番ページ数が使われていた模様。椿が料理を始める理由なんかが出てきますが、とても良い小説だったと思います。補足しておくと、サイドストーリーというよりは、漫画版の内容を分厚くしてくれた小説だったと思います。オススメです。
でまぁ、正直言うと、椿ってかをりちゃんのあて馬じゃないですか。でも、幼なじみ補正でかなりの好待遇ではありますよね。その代わり、泥団子と同じく・・・・うかうかしていたら壊れてしまう存在でもありますが。最終階までにどこまで挽回できるのか非常に楽しみです。



四角関係に見えて、実は三角関係なわけですけど、週マガが最近斬新な三角関係の終わらせ方を披露していますよね。あれが四月にも適用されないことを祈るばかりです。かをりちゃんの手術が失敗したら、椿にも公生にも精神的なダメージ大きいんですが、意外とそっちの方が公生と椿で上手くいくのかもなぁ・・・・とか思ってしまう部分もあります。あれですね、週マガに毒されすぎですねw
余談ですが、公生とかをりちゃんが「ヴァイオリン」と呼んでいるのに対し、椿と渡は「バイオリン」と呼んでいるんですよね。この作品、結構芸が細かいと思います。




ピアノを弾いてた公生が好きだと語っていた椿。ピアノを引き始めた彼は遥か彼方・・・・か。でも、10巻で公生に“女の子として意識させた”場面はとても可愛かったですよね。







○渡亮太の場合




小説版で渡の彼女たちが紹介されてます。圭子、れーな、まゆ、みっちゃん・・・・な〜んて名前が挙がってました。どんだけモテるんだコイツは・・・・。中学生でここまでモテて、サッカーも上手くて、となると人生も楽しそうだなぁと思いますよ。
ところで、この渡亮太という少年、皆さんからはどう見えるでしょう。かをりちゃんの恋愛相手?公生唯一の男友達?色々と見方はあると思いますが、俺は非常に重要なキャラだと思っています。少なくともただのチャラ男ではありません。例えばですが、渡はかをりちゃんが好きだったのではないかと思うんですよ。描写はそれほどありませんが、藤和コンクールでの「キレーだ」という渡の台詞は、かなり本気に近かったのではないかと思います。その上で、かをりちゃんが公生のことを好きであるということ、公生もかをりちゃんを好きだということ、公生は渡にとって親友であるということ。これらを心で理解して、公生に譲っている、公生を応援しているように見えるんです。
公生がかをりちゃんを好きだと渡に言った時、「やっと俺とやり合う気になったか」なんて言ってましたが、公生にとって唯一の男の親友として喜んだであろうことは疑いようがないです。かをりちゃんには言えない、椿だからこそ言えないことって公生にもあると思うんです。それを言える数少ない相手が渡だと思います。



公生にとって、ピアノの弾き方を教えてくれたのは母親でした。音楽の奏で方を教えてくれたのはかをりちゃんでした。紘子さんも椿も公生に色々と教えてくれました。ただ、女の子(非椿)の接し方を教えてくれたのは、渡なんですよねぇ。
「無理かどうかは女の子が教えてくれる」
「好きな女の子のためなら泥水だってすする」
これらは渡のキャラクターだからこそ、公生に伝えられたことですよ。初めてコンクールで負けた公生が、悔しくて悔しくて走る場面がありました。そんな公生に追いつけるのに追いつかないという空気を読める渡のキャラが好きです(←!?)。まさに男の子の親友だなと思います。俺にも渡みたいな親友が欲しかったですよ、ホント。








○井川絵見の場合



井川絵見という才能

正直言うと、絵見が一番好きです。この作品では演奏シーンがたくさんあるんですけど、毎報での絵見の「響け」にはやられましたよね。何度見ても素敵です。アニメも良かったですね。
そもそも女の子の“行け!”という懇願に近い衝動が好きです。「有馬公生を否定するために」という絵見のピアノからは、ヒューマンメトロノームとしての公生を全否定するかのような熱情のこもった演奏を垣間見ることが出来ます。正確無比な絶対的勝利を約束されたピアノに憧れた武士に対し、初めてピアノを弾いた公生(のピアノ)に憧れた絵見。コンクールのために弾く公生は有馬公生ではない。ピアノが好きだと弾く公生こそが本当の有馬公生だと信じ続けてピアノを弾いています。
絵見の涙でションボリと舞台袖に消えていった有馬公生は戻ってきたのでしょうか。毎報での演奏は有馬公生に響いたのでしょうか。勝つためではなく、誰かに見せつけるような演奏だからこそ、読者視聴者を虜にするんだろうなあと思います。

なお、小説版ではあえて難しい曲に挑戦していることが書かれていました。それもそのはずで、難しい曲は小さなヒューマンメトロノームがトライするんですよ。同じ曲を弾いて、ヒューマンメトロノームは間違ってるんだぞと公生に教えようとしていたらしいです。そのため、思ってたのと違う曲だった場合・・・・怒ってました。つまりはまぁ、精確性を求めた武士に対し、テクニックを磨きに磨いたのが井川絵見となります。
確かに情感を込めてテクニカルに弾くことで観衆を盛り上げることは出来ます。しかし、改めて確認すると、毎報コンでも予選ギリギリ通過なんですよねぇ。一位は武士。公生は予選落ち。この二人は当然として、あれだけ聴衆の拍手をもらった絵見ですら、予選ギリギリの結果。何が正しいのかは言えませんけど、自分のピアノを追求し続ける姿は確かに・・・・かっこいい。かをりちゃんにしろ、絵見にしろ、コンクールでは勝てない音楽で公生を突き動かすのだから、四月は君の嘘の女性陣はすごすぎますよ。







○相座武士の場合



高め合うライバル

有馬公生という幻想に勝負を挑み、幻想が幻想だったとわかった時、挫折してしまった男。絵見は新しい公生を喜び、武士は戸惑ってしまいました。10巻では復活してますけどね。武士が理想とした正確無比な演奏に武士なりの色気が加わり、絵見のような大拍手を貰えるほどにまで成長しています。もちろん突き動かしたのは、妹の凪と有馬公生。
非常に面白いのですが、凪って公生をストーカーしていたじゃないですか。小説版でも兄の武士が似たようなことをやっているんですよね。相座家は公生が好きすぎです。ついでに絵見もなかなかの公生ストーカーなので、意外といいカップルになるんじゃないかな?とか思ってますが。どうでしょうね?
まぁ、それはそれとして、武士は絵見と違う方向に進んだのが印象的です。有馬公生の演奏はヒューマンメトロノームと呼ばれるほどの正確無比なものでした。ピアノを始めた武士からは最強の男、ヒーローのように見えたらしいです。ましてや武士はかなり男の子っぽい性格をしていますからね。自分が難しいと思うピアノに対し、絶対勝てないと思わせる人間がいた。そこに憧れるのも仕方ないといったところでしょうか。同じ有馬公生を見ていたはずなのに絵見とはアプローチが違うというのも面白い対比です。なお、絵見とは違ってコンクールで勝つための演奏を目指しているため、基本的には絵見より順位は上になってます。


でも、結局は作品を通して噛ませ犬なんですよね。公生に勝てない時代を含め、公生がいなくなっても毎報では絵見に見せ場を取られていますし。また、武士を語る場合、どうしても妹の凪が目立っちゃうのもなんともまぁ悲しいというか。しかし、それだけ凪話がよかったんですよねー。「オペラ座の怪人」のファントムのつもりで公生に近付いたと思ったら、いつの間にか教えられているクリスティーヌになっているという・・・・。まぁ、それだけ公生がかをりちゃんに対して気持ちが強かったということかもしれませんけども。
そうそう。凪もですが、三池くんも公生に感化された人間でしたね。彼の母親への演奏もよかったですな。絵見はもう初めから独特な復習状態なのでいいのですが、相座兄妹、三池くんあたりは各自の音楽を公生によって変えられたと思います。そういう音楽家に公生はなりそうなのだなと楽しみな存・・・・って、ここ武士の項のつもりだったのに。ドンマイ武士。







○アニメと漫画




アニメ化の話を聞いた時、本当に本当に本当に嬉しかったのを覚えています。それが漫画と連動で終了するというのも上手いな〜とか思っていました。ただ、新川先生の出す独特の漫画のテンポをどう表現するのか?というかそれが売りの一つだし、そこを失敗したら・・・・・?なーんて思っていましたけど、今のところかなり丁寧にアニメもつくられていてとても嬉しいです。これはBlu-ray買っちゃいますねー。アニメの円盤をここまで欲しいと思ったのはおそらくこれが初めてだと思います。なお、家には進撃しかない模様。基本的に円盤買わないのですよ・・・・。
アニメ化の何が良いって、やはり音楽が付くということですよね。その時点で原作とは違う作品になるんですけど、ギリギリ原作の色を残したアニメになっているのが良いんですよー。それでもまぁ、アニメよりは原作派ではありますが。きっとアニメしか見てないって人もいるかと思いますが、ぜひぜひ原作を買って読んでほしいと思うわけです。アニメも良い。でも、アニメは原作の漫画の雰囲気を残すように最新の注意を払ったものであり、そこに音楽がプラスされた別物なのです。原作は原作でとても良い。それを知ってほしいのです。
ただまぁ、原作の好きな場面をアニメを見ながら「あーこんな感じにしたのねー」と思いながら見ている時点で何かおかしいような気もしますな。かをちゃんのくじけそうに〜という場面は、そう思った場面の一つでした。そういえば監督のイシグロキョウヘイさんも同じ場面が好きだ、原作の良さを壊したくない的なことをインタビューで語っていたように思います。全く同じにはできないけれど、質感は残したいという気持ちがアニメから伝わってきて原作派も大満足ですよ。
そうそう。この文章を書きながらアニメの第8話「響け」を何度も何度も何度も見ております。この話は逆に圧巻でした。絵見の響けは原作でもかなりの名場面だと思っていますが、アニメらしいやり方?と言えばいいんでしょうか・・・・とにかくすごく良かった。赤黄の効果音はどうかと思ったけど。とにかく響いてきました。なお、絵見の中の人がやっている某異能バトルアニメでも素晴らしい演技をしていましたね。なんだかんだ今年は絵見の中の人にお世話になっているような気がします。




とにかくもう四月は君の嘘の全てが好き。大好き。できることなら、もう一度記憶を消して読み直したいです。でも、何度も読み返すと味が出る作品でもあるので悩みますな。まだ見たことない人にとにかくオススメしたいですぞ。最終話がどうなるのか。かをりちゃんはどうなるのか。来年春が待ち遠しいです。
結論:四月は君の嘘面白い