「聲の形」と作者の大今良時先生について語ろうか



読み切り「聲の形

※ある程度読まれた方を対象としています。まだ読んでない人は今すぐ読んできた方がいいですよ〜。
2013年2月20日、週刊少年マガジンにおいて衝撃的な読み切り作品が掲載されました。タイトルは聲の形。この作品に対しては、各所でかなり話題にされていたこともあり、内容の多くを説明することは割愛したいと思います。とりあえず、一番いい文章を書いていたサイトさんを読むことをオススメします。→http://yamakamu.com/archives/3702516.html
とにかく全てが刺激的。障害とイジメを組み合わせた上で描き、子供の、いや大人たちを含めた残酷さも見せつけた上で、キャラたちの気持ちが描かれています。とても感心?したのは、登場人物の気持ちが聾唖者たるヒロインではなく、健常者たる男の子側からしか描かれていなかったこと。ヒロインは手話と表情で気持ちを描き、大多数たる読者(=健常者)は、確実に物語の中に入り込めたこと。決して障害者側が辛いという気持ちを描く作品ではなかったこと。このあたりが読み切りとして、読者へ訴えかけるものとして上手くできていたように思います。少し補足するのであれば、障害を持つ方々にとっても自身の体験を思い起こさせるものであり、客観的なものとして作品を読まれたのではないかと思います。



・・・長々と書いてしまいましたが、つまりは“とんでもない作品”だということ。



正直に言います。この作品の良さを自分の文章で伝えきる自信がありません。そして、それでも皆さんに読んでほしい。もっと言えば・・・週マガを今回だけでも買ってもらって何度も読んでもらいたい。そういう意味では上述したサイトさんは本当に心を掴まされます。読むかどうか迷っている方で、このブログを見られている方は(http://yamakamu.com/archives/3702516.html)をちょっと見てくることをオススメします。
さて、この作品を描かれたのは大今良時先生という23歳の方です。19歳の時点でこの作品を作り、別マガで名作マルドゥック・スクランブルの作画を担当されています。はっきり言って、マルドゥックは超名作です。原作も当然ですが、若くしてこの作品を描ききった大今先生は天才じゃなかろうかと思うわけで・・・。初の連載でマルドゥックをやりきったことすら偉業なのに、手持ち作品が聲の形ときたもんだ。すごいの一言です。



というわけで、大今先生発掘に関して少し紹介したいと思います。発言元は元週マガであった現ライバル編集部のムラさん驚き、衝撃、そして開花させるまでが見て取れます。





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当時の編集部が、大今先生という才能と、聲の形という衝撃を見つけた時の驚きが見て取れます。また、大今先生を大切に育てようというのを感じます。ちょっと残念なのは、デビューが大今先生オリジナルじゃないということでしょうかね〜。
あと、ムラさんの発言にもある“プレゼン用のショート漫画”こちら。


マルドゥックのプレゼン漫画

6ページほどあります。大今先生が気になった方は是非マルドゥック・スクランブルを購入されることをオススメします。なお、プレゼン漫画は1巻に収録されています。






ところで、完全新作として週マガでの読み切りが描かれたように思われているんですけど、実際には新人賞入選時のネームを再度描き下ろした状態のものを週マガに載せています。言い換えれば、昔バージョンがあるということ。そして、それが2011年の別マガ2月号で読み切りとして乗っていたということ・・・。



最初の「聲の形

自分で言うのもなんですけど、取っといて良かったです。あはははは。改めて読み返してみると、本筋は同じですが色々と異なるところもたくさんありました。冒頭、「西宮硝子、俺は彼女が嫌いだった」から始まるのは同じ、エンドも同じ、展開も同じ。あとは・・・。例えば、絵柄が変わっているのはお約束ですね。


新人賞時の聲の形



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マルドゥック・スクランブルのプレゼン
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カジノ編マルドゥック((カジノ編は神がかって面白い。))



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週マガ版での聲の形


新人賞受賞が19歳。今回で23歳。長いようで短いようで。かなりの進化が見て取れます。もちろん初期時のどこか素朴な雰囲気もいいなぁと思いますけどね。新旧の聲の形を見ると、描き込み量も全然違います。昔は白背景が多い印象です。


将也のその後

(狙いもあってか)週マガ版では割とあっさりだったんですけど、硝子がいなくなってからの将也については少し別マガ版の方が多めの印象です。自分たちの前から硝子が去ってしまった後、手話を将也は覚えようとします。子供時代に伝えられなかったこと、伝える方法がないと思ってたこと、大きくなってから語り合う方法を手に入れたこと。このあたりは正直、涙涙な部分です。将也が手話を覚える度に、硝子が場面場面で言いたかったことを理解している過程が読み取れます。
この作品のテーマでもある耳が聞こえないという部分。言葉って実は本当に重要で、手話という方法が硝子と手をとる方法であったということは大きなことなんですけどね。手話を知らなかったというのは言い訳にしていいとも思いませんが、これも今の現実にあるものですからね。これが一つの道標。正解だとも言えませんし、将也が手話を覚えたことで必ずしも硝子と手を取り合えたとも言い切れません。答えはそれぞれ見つけるものですから。


最後の1コマ

このコマが週マガ版と違うのはよく分かります。言葉は・・・言わずもがなってところでしょうか。
週マガ版でも強く描かれていますが、手を合わせるのは手話で“友達”を現します。この友達という手話の魅せ方が新旧で異なっていて、俺としては非常に印象的。別マガ版は友達の大コマを最後の最後にこれを持ってきていますが、週マガ版では途中で挟まれてますね。どちらかと言えば、週マガ版の方が終わった後の甘酸っぱさが強調されているでしょうか。あぁ・・・できれば両方読んでもらいたいなぁ。
なお、教師がクソなのはどちらも同じ模様。あと、別マガ版は女性がキレイに描かれていて、週マガ版は可愛いなぁという印象。可愛い分・・・よりエグいですけども。




さて、現在“連載を検討中”とのことです。新人賞の時から連載を目的として描いていたそうです。もちろん週マガとして今回の読み切りを載せるのに四苦八苦したそうなので、連載ができるかどうかは実質的に不明とのこと。まぁ、聲の形であってもなくても、個人的には原作のない大今良時という作品を読みたいなと思っています。さすがに聲の形という作品は、週マガという媒体でやるには刺激的だとは思いますけどね・・・。






あなた達はどうなる?

この作品を読んでどう感じましたか?もしかして同じような場面に出くわしませんでしたか?何かしてあげられましたか?この作品は障害という問題も、そのイジメという問題も抱えた作品です。ただ、子供たちはとても残酷です。この作品に出できた子供たちを俺は否定出来ません。俺は先生も否定しきれません。ダメだって分かってます。でも、否定しきれないんです。もしかしたら自分もやるかもしれない。・・・やっていたのかもしれない。
それでも、それでも・・・これがおかしいことだって今は言えます。きっと読んだ方もこの作品で起きた出来事をおかしいことだと認識できるはずです。こういった作品を一過性のものとしないためにも、どこか心に残しておきたいものです。連載化がとても望ましいですが、どうにかこうにかずっと繋げられたらいいな・・・って思います。そういう意味でも手元に残しておいてもらいたい作品です。せっかくなので立ち読みなんて勿体無いことをせず、手にとって、家に持って帰って何度でも読んでもらいたいな・・・って。それが今の自分たちにできることかなと思います。