ドラマチックが止まらない「デラシネマ」

皆さんは映画を見ますか?俺は話題のアニメ映画をたまに見に行くか、気になる邦画を時々〜というくらいしか見ません。最後に見た映画は・・・ももクロのドラマ仕立ての映画、ももドラでしたかね。その時は中学生くらいの2人組と3人しか映画館にいませんでしたが、まぁ〜その2人組の中学生のマナーが酷かったです。上映中は喋らないでほしいね。こっちはガチンコで見に行ってるんだから。あーやだやだ。
さて、映画の話題から入ったわけですけど、モーニングで連載中のデラシネマが好きなんですよ。モーニングというと面白い作品の宝庫と化していますが、星野泰視先生が描く映画を題材にしたこの作品も全然負けてません。いや、安定して面白く、サッカーや宇宙的看板漫画にも負けてないと思ってます。というか哲也以来の当たり作品ですよ。

デラシネマ SIDE A



主人公・風間俊一郎

この作品は2人の若者によって構成されています。1人は風間俊一郎。映画監督を目指すメガネの似合う育ちのいい青年です。最初はフォース監督でしたが、途中でサード監督に抜擢されています。意欲に薄れた監督候補たちに紛れて日々精進中です。
俊一郎のいいところは、周囲を見る能力に長けていることでしょうか。監督が映画を作るために自分の理想を追い求める中、監督を手助けするためのあれやこれに尽力します。そういった点が監督さんたちにウケがいいようです。なお、現在の現場は”世界のモリシマ”と呼ばれる森島監督が手がける「花、ひとひら」。演者は大人気の女優・生方朋子。監督の欲望によって撮られる映像の一つ一つに、朋子の本当の姿が映し出されていきます。


世界のモリシマ

しかし、森島監督は本当にやりたい放題ですな。何十年も頑張って育てた木をあっさりと切ったり(もちろん育ててたお爺さんは大激怒)、お高い茶碗も勝手に持ち帰ったり、朋子の演技が気に入らないと何度も撮り直しては時間が押し押しの状況になったり。しかし、それもこれも”世界のモリシマ”だから許される事項ばかり。根幹はいい映画を撮りたいという部分が大きいのだと思いますが、それに付いていける人間とそうでない人間に分かれていきます。


倒れた朋子

雨の中で演技させられ、何度もリテイクして、ついには倒れた朋子。しかし、彼女は演技をし続けようと動き続けます。
「演じたい」
そう言った彼女は鬼気迫る状況で森島作品にのめり込んでいきます。森島監督という”ホンモノ”によって、朋子の本当の演技が引き出されていき、それに喜びを感じる朋子。そんな彼女も”ホンモノ”なんだろうなぁと思います。

しかしながら、演者、監督の気持ちとは裏腹に、台本まで書き直しという状況からスタッフが何人も帰っていきます。それを止めようとする俊一郎の説得もむなしく、3分の1が帰ってしまいます。デラシネマを読んでいくとよく分かりますが、俊一郎は”ホンモノ”の監督によく出会っているような気がします。性格、やり方、考え方、色々と違えど「いい映画を撮りたい」という監督たちの気持ちを汲み取ると、帰る、いや放棄するという行為は許せなかったんだろうなぁと思います。ましてや大好きな女優でもある朋子の最後の映画かもしれないと知れば尚更・・・。




デラシネマ SIDE B



主人公・宮藤武晴

そして、デラシネマのもう1人の主人公・宮藤武晴は演者側のお話になっています。もちろん俊一郎と武晴は仲のいいコンビであり、将来的には映画界を動かしてやろうと意気込んでいる二人でもあります。
ただ、武晴自身は順風満帆とはいかず、大御所から目をつけられることもしばしば。というのも、台詞もない切られ役ばかりの”大部屋俳優”としての役割しかなかったことが一因だったりします。ちょっとした階級性になっており、大部屋俳優が大御所勢と対等にいくわけがない・・・というのが通常でした。しかし、武晴の性格や立ち回りの良さが目を惹き、自らの地位を勝ち取っていきます。


トップスターとの対決もあり!

俊一郎側からだと大きな演技の描写はありません。一方で、武晴は鮮やかな、迫力のある演技シーンが多く描かれます。大御所の中の大御所、通称”御大”との剣戟はとても見ものです。4巻では歌舞伎出身スターとのカラミがかなりの見所。俊一郎サイドだけだと小さくなりがちな作品なんですが、演者の華やかさを描く武晴サイドが作品を大きく見せてくれます。もちろん俊一郎サイドの、映画作りの重み、奥深さを描く部分もかなり秀逸。2つあってこそのデラシネマなわけです。




デラシネマ SIDE C



森島監督と笹木監督

主人公以外にも登場人物は多く、それぞれの生き方がしっかりと描かれているのもデラシネマの特徴。演者側で言うと、先の朋子もそうですが、御大や歌舞伎出身の光春といった映画の顔が漫画としての華を添えています。
一方、4巻では監督同士の対比もお見事でしたね。俊一郎が付いたのは森島監督。武晴は笹木監督。監督が変われば撮り方も違うし、考え方も違います。自分の欲望を糧に映画を撮る森島監督。森島監督のハデさはないながらも、ヒット作連発の笹木監督。さすがに森島監督が武晴を撮る可能性は低そうですが(武晴が文芸作品向きじゃない??)、監督を取替えてみると、4巻で描かれたものとは異なる見え方がするかもしれません。
二人の間にもそれなりの過去があり、そして今がある。ただ1つ言えるのは「二人とも好きな作品を撮っている」ということ。とある思い出を胸に、笹木監督の後ろ姿に一礼する”世界のモリシマ”の姿はグッとくる一幕でした。




主人公二人は映画を撮るために頑張っています。もちろん片方は撮る側、もう片方は撮られる側です。それぞれの性格、そしてその仕事の与えられ方が存在し、二人の物語が紡がれます。
デラシネマは漫画という媒体ながらカメラが回っている間の演者の姿には華があり、まるで本当の映画のようにも見えます。まぁ、少し言いすぎなのかもしれませんが、確かに映画を撮っている(撮られている)という雰囲気をかもし出す描写と、それを作る人間たちのドラマが対比されて見て取れます。まるで撮っている間の時間軸だけ違うようにすら見えます。まるで撮っている二人の映画を見ているかのようにも見えます。
4巻以降もまた新しい展開を迎えていますんで楽しみに待ちたいなぁと思います。次巻も楽しみな作品です。オススメ。




余談ですが、4巻帯を書いてくれている浦沢直樹先生とのやり取りが面白かったです。